2024年7月7日のメッセージ 聖霊降臨節8主日礼拝

「復活の希望に生きる」 ヨハネによる福音書5章19節~30節・使徒言行録24章10節~21節

1.「『子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。・・わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。』

イエスの言葉は、父なる神が語られる言葉であり、イエスがなす業は、父なる神がなされる業であり、イエスの裁きは、父なる神が裁かれる裁きです。審判の主権と救いの栄光は父なる神に属します。御子イエスが主権と栄光を父なる神に帰されたように、私たちの隣人への良き施しは、隣人も行為も主が導かれた事柄と知ります。小さな施しにも大きな愛を込めて隣人に仕えましょう。

2.「『わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。』」

十字架の福音を信じる者は、今や永遠の命に生かされているので、既に御国の市民であるいのちの書にその名前が登録されています。それは父と子の権威によって保障された永遠の約束です。私たちは地上の人生を永遠の祝福のもとに据えて、勇気と力強さに満ち大胆に歩み出します。

3.「『死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。』」

神の裁きは未来のことではなく、今ここに下される出来事です。いつしかキリストが天から来られる(再臨)時、すべての人が甦らされ、永遠の審判の座に立ちますが、その救いと滅びは今ここで御声に聞き従うことと結びついています。

(2024.7.7 田中直子牧師)