2024年7月21日のメッセージ 聖霊降臨節10主日礼拝
「このような私が」 ローマの信徒への手紙7章18節~25節
1.今日のみ言葉は、パウロが自身の信仰生活における悩み、葛藤を吐露している部分です。特に24節「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」という言葉は、パウロの叫びともとれる、わたしたちの心に迫って来る言葉であると思います。
2.このパウロの叫びは昔から議論の的になっていました。なぜなら、パウロが神さまを信じているにもかかわらずこのような叫びをあげているとするなら、救われるとは一体どういうことなのか。信じてなお苦しみ葛藤するのであれば、惨めな思いをしなければならないなら、その救いに意味はあるのかと批判する人々がいたからです。
3.パウロは以前キリスト者を迫害するものでした。自らの行いは正しく、神さまはこの事を喜んでくださっていると信じて疑いもしませんでした。そのパウロは回心を経験します。そして気付かされます。これこそ神に喜ばれることだと思って熱心に行っていたことが、神の御名を汚し、罪であり悪である。良いことをしようと思う自分が罪を犯すことしかできない存在であると初めて気が付くのです。パウロの嘆きと葛藤の人生はここから始まりました。
4.しかし、それは人間のほんとう、罪の本質、恐ろしさに気が付いたということでもありました。同時に、その罪を赦され、叫びを、嘆きを受け止めて愛してくださる主のまなざしがあるということにも、パウロは気付かされたのです。わたしたちの歩みにもその主のまなざしが注がれているのです。
(2024.7.21 加藤隆 師)