2024年8月4日のメッセージ 聖霊降臨節12主日礼拝
「救いの喜び、賛美の歌声」 ルカによる福音書 17章11章~19章
イエスさまに癒しを求めた十人は、このイエスさまのお言葉に従いました。つまり行動に移しました。祭司たちのところに向けて出発しました。すると「そこへ行く途中で清くされた」(14節)のでした。十人がみんな癒されたのでした。今日の話の中で注目したいのはその後です。15~16節をお読みします。
「15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。」
つい先ほど、大声でイエスさまに助けを求めた人でした。「イエスさま、先生、私たちを憐れんでください」と叫んだ人の一人でした。その時は、人に近寄ってはならないので、悲しいけれど叫ばざるを得なかったのでした。その心には悲しみ、苦しみが深く沁み込んでいたことでしょう。ところが今は違います。その人は歌っています。前にもまして大声で、神さまを賛美しています。そして、もう人との距離を保つ必要がないと知って、イエスさまの足もとにひれ伏しました。そして、何をしましたか?その人は感謝したんです。「ありがとうございます。感謝します。嬉しいです」と。
何が彼をそこまで変えたのでしょうか。悲しみと不安の中に閉じ込められていたその人を、大声で神さまを賛美する人に変えたのは何だったのでしょうか?その原因は二つあります。一つは、「重い皮膚病」がいやされたこと。それは他の九人も一緒でした。けれども、他の九人にはなくて、この人だけにあったものがありました。それは何かというと「信仰」です。この病が癒されたのは、何か他の理由によるのではなく、また偶然でもなく、ただただイエスさまのお力によるのだと信じた信仰です。
神さまが叶えてくださったのだと理解すること、これが信仰なのではないでしょうか。そして、そのようにして、自分もまた神さまの御手の中にあるのだと理解することが救いなのではないでしょうか。イエスさまが願っておられるのは、このことではないでしょうか。つまり、わたしたちがイエスさまとつながることです。
(2024.8.4 延藤好英牧師)