2024年8月18日のメッセージ 聖霊降臨節14主日礼拝

「赦されて生きる」 ヨハネによる福音書 8章1章~11章

1.「『こういう女は石で打ち殺せ、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。』」

敵対者はイエスを訴える口実を得ようと、姦淫の現場で捕らえられた女を、朝早く神殿に集う民衆の真ん中に立たせて、あなたはどう裁くのかと詰問します。イエスはかがみこんで、指で地面に何か書き始められました。それは人間の内に抱く罪の数々だったのでしょうか。

2.「『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』」

女は姦淫の罪を白日の下にさらしています。訴え出たのは律法学者や篤信家の人々で、道徳的な清さを誇りますが、自分の内に罪や汚れを隠し持って良き人を演じる偽善者です。イエスは彼らの問いを投げ返されました。心を見抜く神の前で自らを義人(罪無し)と言える者はいません。誰もが神の前には(サタンが訴える)被告人です。神の真理に気づかされて、長老たちから始まって、一人一人立ち去って行きました。

3.「『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」

キリストは人類の全ての罪を御自分で背負い、十字架につけられ神の怒りを飲み込まれました。十字架の血潮は人が犯す罪も犯していない罪も贖います。それは信仰によって救いを受ける神の恵みです。信じる者は既に新しい命に生かされています。光の子供として神の祝福に留まる人生へと踏み出しましょう。

(2024.8.18 田中寛也牧師)