2024年10月6日のメッセージ 聖霊降臨節第21主日礼拝
「復活の希望」 ヨハネによる福音書 11章17章~44章
1.「『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。』」
弟ラザロが息を引き取って、四日目にイエスが来られました。マルタは生きている間にならと言います。「ラザロは復活する」と言われても「終わりの日の復活は聞いています」と失望しています。イエスは「わたしが復活であり、永遠の命である。信じる者は死ぬことがあっても生きる」と御自身の復活と重ねられました。
また、復活の主は私たちに、死は死で終わるのでなく、朽ちない栄光の体に甦ると約束されます。教会は再臨待望の結実として朽ちない栄光の体を着るからです、コリント第一15:50-58。
2.「イエスは、マリアが泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。『どこに葬ったのか。』・・イエスは涙を流された。」
マリアはイエスの足元にひれ伏し(礼拝し)ます。イエスは真に人の子で、サタンと罪と死がもたらす悲哀に憤られ、涙する人々への共感と同情心があふれ出て涙を流されました、ヘブライ4:15-16。
3.「『父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。』」
主イエスの祈りは感謝の言葉でつづられます。祈りは既に聞き届けられ、嘉納されています。私たちのつたない祈りも聖霊の執り成しによって御父に届けられています。そのように、祈りは既に叶えられた事柄に対する感謝の応答でありたいのです。
(2024.10.6 田中直子牧師)