2025年2月16日のメッセージ 降誕節第8主日礼拝
「赦されて生きる」 マタイによる福音書 5章17章~26章
1.「『わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。・・あなたたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。』」
主イエスは十字架の血潮によって全人類の罪を贖い、律法による義を廃止されました。こうして、私たちは律法の呪いから解放されました。
一方、律法は神から直接与えられた完全で(永遠に一点も消えない)決定的な戒めです。マタイの教会は律法重視のユダヤ人キリスト者と律法を軽くする異邦人キリスト者が共に集っていて、救いの完成についての対立がありました。
イエスの宣教目的は律法と預言者を打ち倒すことではなく、御言葉を実践して完成することです。
律法学者の義が自分の救いのためであるのに対して、神の恵みに生きる私たちは、「わたしの兄弟(姉妹)であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである、25:40」と言われる、質量でより優った律法の義が証しされるよう期待されます。
2.「『わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。・・まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。・・あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。』」
イエスは弟子たちに「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。ヨハネ13:34」と諭されました。
私たちが十字架の福音によって「神に赦された自分」とされ、互いの間にも「赦されること、そして赦すこと」の和解が実践されることで、天の国(神が支配される領域)は近づくのです。
(2025.2.16 田中直子牧師)