2025年2月23日のメッセージ 降誕節第9主日礼拝
「小犬もパン屑はいただく」 マタイによる福音書 15章21章~286章
1.「『主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています。』・・『わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされてはいない。』」
イエスは異教徒が住む地中海沿岸の町に行かれると、その地方生まれの婦人が出て来て、てんかんの病気に翻弄される娘のために、主の癒しを願って叫びながらついて来ます。弟子たちがうんざりして訴えると、イエスは婦人に自分はイスラエルの民だけに遣わされていると答えられました。
婦人はイエスが癒しの業を拒否されたので引き下がったのではなく、反発するかのように近寄りひれ伏しました。そして「主よ、ダビデの子よ」とイスラエルに遣わされた救い主と承知したうえで、信仰をもって叫び続けたのです。
2.「『子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。』・・『主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。』」
イエスが神の恵みは自分の家族のためにあると再び拒まれました。そこで婦人は、飼い犬は子供たちのパンを分けてもらえませんが、食卓から落ちたパン屑はいただくのです、と断言したのです。
3.「『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。』そのとき、娘の病気はいやされた。」
イエスは婦人の神の憐みに信頼しきる信仰を立派だ(メガ、大きい)とほめられ、願い通りになるように言われて娘は癒されたのです。
イエスは神の民の不信仰と不従順を嘆かれた一方で、異邦人の御言葉への揺るぎない信仰心を喜ばれました。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない、ヨハネ6:35」。
(2025.2.23 田中直子牧師)