2025年3月9日のメッセージ 受難節第1主日礼拝
「イエスの勝利を信じます」 マタイによる福音書 4章1章~11章
1.「『神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。』・・『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる、申8:3』と書いてある。」
肉体が飢えるひもじさに、悪魔は神の子なのだからパンの奇跡を行えばいいと誘惑します。しかし、イエスは空腹を満たすことに勝って、神への信頼と服従の道を選ばれました。目先の必要か、何のためにかです。「人は神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と。
2.「『神の子なら飛び降りたらどうだ。』・・『あなたの神である主を試してはならない、申6:16』とも書いてある。」
次に悪魔は、神殿の塔から飛び降りたり空中を飛ぶようにして、神の子の自己証明をせよと訴えます。しかし、イエスは天から(天使たち)のしるしを拒絶されました。
受難の道を歩むイエスは、敵対者に捕縛されても天の軍勢に命ずることを断念され、十字架につけられても「そこから降りて来い、信じてやろう」との叫び声を聞きませんでした。
3.「『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう。』・・『退け、サタン。あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ、申6:13』と書いてある。そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。」
最後に、サタンは自分を拝むならこの世の支配とメシアの栄光を与えようと誘惑しました。
ペトロがイエスの受難を制止しようとして、「退け、サタン」と咎められましたが、人の子は十字架の死に至るまで御父に従順です。イエスは死んで葬られ、復活し、天と地の全ての王国を支配する王の王と宣言されました、マタイ28:18。
勝利の信仰とは、御言葉に聞くこと、御心に適うことを選ぶこと、御言葉に生きることなのです。「サタンよ、退け。イエス・キリストは甦りなり、命なり。イエス・キリストの勝利を信じます。」と祈りましょう。
(2025.3.9 田中直子牧師)