2025年3月23日のメッセージ 受難節第3主日礼拝
「受難と復活を予告する」 マタイによる福音書 16章13章~28章
1.「『あなたはメシア、生ける神の子です。』・『あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。・わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。』」
私たちの教会は日本基督教団信仰告白を土台として、キリストの体を建て上げています。私たちはキリストを罪から救う唯一の救い主であると告白し、洗礼によって教会に加えられ、聖礼典に与ってキリストの命に生きていることを確かにしています。「生ける神の子、キリストです」との信仰告白は永遠の命であり、御国の世継ぎとしての約束です。
2.「『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。』」
ペトロはイエスの御心を思い描くことをせず、自分に都合のいい僕であるイエス像を描いています。世の救いは御子の受難によって完成すると聞かされても、受け付けません。イエスの行く道に立ちふさがり、腕を引っ張り、何といさめ始めたのでした。私たちは自分の側の思いを訴え出ますが、イエスの側から捉えてみることができるといいですね。
3.「『わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。・ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るまでは、決して死なない者がいる。』」
再臨の主は、私たちが死んで陰府から甦らされた魂としてではなく、明らかに今生きている弟子として迎えることを期待されます。それに適う条件は、自分を捨て、自分の十字架を背負ってイエスに服従しているかです。厳しく感じますか。自分の命は永遠の祝福のもとにあるのか、それとも永遠の滅びかを選択するのは私の決意と行動です。主イエスはあなたの信仰は立派であると言いたいのです。
(2025.3.23 田中直子牧師)