2025年3月30日のメッセージ  受難節第4主日礼拝

「 主の変貌 」 マタイによる福音書 17章1章~13章

1.「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。・『主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。』」

高い山(ヘルモン山)にイエス一行が登ると、イエスは天の栄光で顔が輝き、衣は光をまといました。イエスの本当の姿が現れました。その威光に照らされた者は恐れおののき倒れる他にありません。モーセ(律法)とエリヤ(預言)が現れ話しています。それは旧約聖書の成就、救いの完成についてでした。私たちは素晴らしい経験や成功体験に留まりたくなります。けれども、優先順位は目標に向かって歩むことです。イエスは十字架の道を選び取られ、踏み出されます。

2.「『これは、わたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け。』・『起きなさい。恐れることはない。』」

御子は御父の「愛する子、心に適う者」との呼びかけを聞いています。十字架への道を歩まれるのは、自分のためではなく、私たちを罪から救い、同じ呼びかけに生きる者とするためです。天からの声に恐れおののく弟子たちに、イエスの方から近づき、手で触れられ、しっかり立つように励まされたのでした。私たちも主イエスの愛の内に包まれています。信仰に立って踏み出しましょう。

3.「『言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。』」

イエスは御自分がどのようにして十字架につけられるのを知っておられます。十字架への道はイエスが導いておられます。私たちの生涯は自分が選び決断してきたことであっても、その都度、導きを与えておられるのは主イエスであることを意識していたいのです。

(2025.3.30 田中直子牧師)