2025年4月6日のメッセージ  受難節第5主日礼拝

「 イエス、裁かれる 」 マタイによる福音書 27章11章~32章

1.「『お前はユダヤ人の王なのか。・あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか。』・『あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。』」

総督ピラトはイエスがローマの反乱分子でないこと、祭司長たちの死刑を求める訴えが妬みであることを知ります。「あなたが言っていることです」とは、そうでもあり、そうでもないし、また答えないのも同様です。妻の伝言は、夫が祭司長たちや群衆の叫び声に耐え切れずイエスを渡してしまう情景を夢見たのでしょうか。

2.「『どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。』・『十字架につけろ。』と叫び続けた。・『その血の責任は、我々と子孫にある。』」

ピラトは政治と宗教は次元の違う救いであって、バラバは犯罪人であり、イエスは救い主と示されています。ところが、私たちは周囲の声に動揺してしまいます。私たちが意識し意思し行動することは、イエスとどう向き合っているかを証しています。イエスを信じて行動する人は永遠の命に入りますが、一方でイエスを拒否したユダヤ人は悔い改めることができません。

3.「赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、『ユダヤ人の王、万歳』と言って侮辱した。また、唾を吐き掛け、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。」

ローマ兵はイエスをユダヤ人の王と見立てて、赤いマントを着せ、茨の冠をかぶらせ、葦の棒を持たせます。膝まずいて「王様、万歳」と侮辱しました。更に唾を吐き掛け、葦の棒を取り上げ何度も頭をたたき、手足を釘打ちにして十字架にかけました。イエスは選民と異邦人からの受難を受け止められて、罪を贖う子羊となられたのです。

(2025.4.6 田中直子牧師)