2025年4月13日のメッセージ  棕櫚の主日礼拝

「 十字架につけられる 」 マタイによる福音書 27章32章~56章

1.「『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。』・『他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば信じてやろう。「わたしは神の子だ」と言っていたのだから。』」

敵対する祭司長たちや群衆そしてローマ兵たちさらに犯罪者までも十字架のイエスを嘲ります。ついには「十字架から降りて来い、信じてやろう」と救いの御業さえも拒否したのでした。指導者に扇動され群集心理にあおられてしまうと、外からの救いはいらないと愚かな生き方を選んでしまいます。

2.「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。・イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。』」

全被造物は創造の主の受難を悲しんで、喪に服します。イエス自身は「わが神よ、どうしてお見捨てになったのか」と叫ばれ、最後の息まで神信頼を貫き通されました。そして全身全霊をこめて最後の息を吐き出され、全人類の罪を贖う神の子羊として救いを完成されたのです。

3.「百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、『本当に、この人は神の子だった』と言った。」

イエスの肉体を辱め十字架にくぎ付けて死の見張りをした百卒長たちは、全被造物のしるし(全地が暗くなり、神殿の幕が裂け、地震と聖徒の復活)に、聖なる畏れを覚えて全人類を死と滅びの鎖から解放される「神の子」と告白しました。私たちは周囲の状況に巻き込まれずに、真理に触れる生き方をしたいと思います。

(2025.4.13 田中直子牧師)