2025年4月20日のメッセージ イースター主日礼拝
「 イエスは復活された 」 マタイによる福音書 28章1章~106章
1.「『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。』」
安息日が終わり、週の初めの日の明け方に二人のマリアが墓を見に行きます。すると光の天使が天から降り、石を脇に転がしその上に座りました。番兵たちは稲妻と白雪のような輝きに震え上がり、死人のようになりました。
一方、マリアたちはその天使から、十字架に死んで墓に葬られたイエスは約束通り復活されたと知らされます。主の復活は遺体がないことなのです。
2.「『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』』」
復活の主との交わりは生活の現場で会えると約束されます。復活の日、主はエマオでパンを裂いて二人の弟子たちに与えられたように、礼拝する場所で会われると共に、私たちが生活する場所に先立って行かれ待っておられます、出エジプト3:12。
3.「『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。』」
私たちは臨在の主を信じることによって、様々な場面でも恐れに囚われずに踏み出すことができます。ガリラヤは私たちの信仰生活の出発点です。いつも十字架の救いと復活の命に立ち返って、生活の現場に送り出されて主の証し人となっていくのです。
(2025.4.20 田中寛也牧師)