2025年7月20日のメッセージ  聖霊降臨節第7主日礼拝

「 求め、探せ、叩け 」 マタイによる福音書 7章1章~12章

1.「『求めなさい。そうすれば与えられる。・・まして、あなたがたの天の父は、求める者に良いものをくださるにちがいない。』」

子供がパンや食事を求めるなら、親はその願いに適う良いものを提供します。まして、天の父は神の子供たちに良いもので豊かにされます。

「求め、探せ、叩け」は、神が私たちの祈りを聞いてくださるという確信から生まれます。神の愛は父親の愛よりも確実であるとの信仰があるので、根気よく天の門をたたくまで(御心に適うこと、ふさわしい時)の祈りを可能とするのです。ルカは最上の良いものは聖霊であると説きます、11:13。父なる神は子たちが聖霊(命・知恵・祈り)に満ち溢れ、御子との交わりが豊かになるよう願われます。

2.「『だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。』」

この節は黄金律と呼ばれ、5:7「律法を完成する」とが5:17-7:11にある愛敵の段落を挟み込んでいて、山上の説教全体をまとめています。

ユダヤ教のラビ・ヒレルはある異邦人に、彼が片足で立っている間に全トーラー(律法)を学び取ることを要求され、「人が自分にして欲しくないことを、あなたも隣人の誰にもしないことがトーラーである」と否定的に答えました。一方、イエスは肯定的に何でも誰にも善行をするよう諭されます。イエスにとって隣人愛は受動的でなく、能動的率先的積極的な行為となります。それは律法の義を完成するからです、22:37-40。

(2025.7.20 田中寛也牧師)