2025年7月27日のメッセージ  聖霊降臨節第8主日礼拝

「 砂の上の家と岩の上の家 」 マタイによる福音書 7章13章~29章

1.「『狭い門から入りなさい。・・命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。』」

マタイは私たちに「今ここで」命に通じる門と道を選ぶように諭します。聖書は光と闇、命と滅びの二者択一思想です。洗礼を受けて救いの門から入った私たちは、信仰者の道が受難と労苦が続く細い道であることも覚悟します。

2.「『偽預言者を警戒しなさい。・良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げこまれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。・・わたしに向かって「主よ、主よ」という者が天の国に入るわけではない。」』」

羊の皮をかぶり聖人を装っても、神を呼び求める饒舌な祈りも、巡回教師の行為とその結果を観察すれば、その預言や奇跡が利己目的(反律法主義、無律法主義の教会の破壊者)であるか、神に栄光を帰しているかは見分けられます。

「主よ、主よ」と熱心に祈ることや奇跡のしるしが召された者のしるしではなく、むしろ「父の意志を行うこと(愛の掟22:37-40、コリント第一13章)」によって神からの教師であると証言されます。

3.「『わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。倒れなかった。・・わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。・その倒れ方がひどかった。』」

御言葉を聞いて行う賢い者は、審判の時が何を意味するかを知っていて、キリスト(岩)の上に家を建てます。一方、愚か者は自分の敬虔と能力を土台として家を建てます。

キリストは「わたしが来たのは・律法や預言者を完成するためである、5:17」と言われます。命に通じる狭い門から入り、細い道を歩くのか、多くの者が入る広い門と広々した道を選ぶのかで、審判に耐えうる土台に建てられた家か、倒壊してしまう家かは、やがて明らかになります。

(2025.7.27 田中直子牧師)