2025年10月5日のメッセージ  聖霊降臨節第18主日礼拝

「 永遠の命を得るために 」 マタイによる福音書 19章16章~30節

1.「『先生、永遠の命を得るには、どんな良いことをすればよいのでしょう。』・・『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』」

イエス(善なる方)の答えは掟を守りなさいです。真面目な好青年は、律法に記された隣人愛の全てを守りましたが、まだ何が必要ですかと。イエスは完全になりたいなら所有物を売り払い、貧しい人々に施すよう諭されました。彼は永遠の命の獲得ためには、更なる善行にあると理解していましたが、主に従うためには富の囚われから解き放たれる必要がありました。彼は永遠の命を得ることの真理を諭されて、悲しみながら立ち去りました。

2.「『重ねて言うが、金持ちが天の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』・・『それは人間にできることではないが、神には何でもできる。』」

富裕であることは、ヨブのように神に祝福された者の証しでした。この青年が永遠の命に入れずに立ち去ったのなら、弟子たちも教会員も誰一人入れないでしょう。けれど、主イエスは「神には何でもできる」と宣言されます。弟子たちを支える教会員の多くが財産放棄したのではなく、弟子たちが無一文で教会に仕えたのでもありません。教会は神には何でもできると信じて、仕え合う生きた共同体です。

3.「『このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従ってまいりました。では、何をいただけるでしょうか。』・・『人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも十二部族を治めることになる。わたしの名のために、家、兄弟・・を捨てた者は皆、百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。』」

ペトロは主の呼びかけに、直ぐに従いました。主に聞き従うことは、天の国に百倍の善い業を積み上げ、永遠の命を受け継ぐと約束されました。

自己義認としての良き業や施しよりも、むしろすべての財産を御手に委ねて、天の倉からふさわしく取り出すことは永遠の命とつながっていることなのです。

(2025.10.5 田中直子牧師)