2026年4月12日のメッセージ 復活節第2主日礼拝
「 復活の顕現 」 ヨハネによる福音書 20章19節~29節
弟子たちはマリアからキリスト復活の証言を聞き、また空の墓を見届けながら、三日目に復活するとの約束が信じられません。復活日の夕方、彼らはユダヤ人がイエスの遺体を捜しに来るかと恐れて、家の戸に鍵をかけていました。すると、イエスが入って来て真ん中に立たれ「平和があるように」と言われ、手とわき腹を見せたのです。彼らは傷跡を見て、信じられない程の喜びに満ち溢れました。十字架の主は本当に甦られたのです。主は重ねて「平和があるように」と言われ、いつも弟子たちと共にいると念を押されたのでした。
主は弟子たちを御自分の代理として、世に遣わされます。神が土でアダムを創られ、息を吹きかけて生きた者とされたように、主は息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われ、弟子たちは聖霊によって新しい神の人として創造されました。彼らは十字架の福音を携えて罪人の罪を赦し、あるいは留める権能を授けられました。
ところが、弟子の一人トマスはこの時この所に居らず、主の礼拝や集会で味わう大いなる喜びに参加できませんでした。復活の主に出会った喜びの証言をどれだけ聞いても、「この目で釘跡を見て、この指を差し入れなければ決して信じない」と聖霊が語りかけることを拒んだのです。はっきり見たら信じる態度は、自分の手の内にある解決で、高慢で愚かです。幼子のように神の国を受け入れる者は真理を知るのです。
主は何と憐れみに満ちておられるのでしょう。次週の礼拝の時に、部屋の真ん中に立ち「平和があるように」と言われました。トマスは主の傷跡を見て、復活の事実を信じました。そして「わたしの主、わたしの神」と告白し、不信仰を悔い改めたのでした。主は叱責し「見たから信じたのか、見ないのに信じる者は幸い(祝福)である」と言われたのです。教会は臨在の主を信じ、いつも「平和があるように」との呼び掛けを聞いて、十字架の福音を伝えます。
(2026.4.12 田中直子牧師)

