2026年4月19日のメッセージ 復活節第3主日礼拝
「 イエスは良い羊飼い 」 ヨハネによる福音書 10章7節~18節
前章で、イエスは生まれながらの盲人を見つけられ、神の業が現れるために癒され、また世の光である主が見えるように導かれました。
羊は目が弱く迷い易く、頑固で汚れ多い罪人ですが、主は良い羊飼いであって、救いの道、真理の光、永遠の命へと導かれます。門は羊の救いとなる十字架の血潮です。羊たちは門から囲い(信徒の群れ・教会)に入って、安全に守られ平安に眠り、明日を待ち望みます。良い羊飼いは救いの門であり、自分の羊たちの名前を呼んで連れ出し、先頭に立って牧草地へと向かいます。羊たちはその声に従ってついて行きます。羊飼いの杖は迷い出ても正しい道に戻し、穴に躓いて落ちても引き上げてくれます。また羊飼いの鞭は襲いかかるオオカミの群れを追い散らしてくれます。こうして牧草地と水辺に導かれた羊たちは魂を生き返らせるのです、詩編23。
ところが、イエスの敵対者は門ではない所から乗り越えて(闘争、混乱)、声色を変え(異なる教理、異端)、更に「前に来た者(立ちふさがる)者」となって主を見えなくし、羊たちを盗み屠り滅ぼそうと狙っています。
良い羊飼いは知っている羊たちに心をかけておられ、救いの命を受けるために、しかも豊かに(霊の交わりと一致17:21)受けるために、命を捨てるのです。
そればかりか、十字架の福音(十字架・復活・昇天・聖霊降臨)を宣教する使徒たちに導かれる新しく加えられる羊たちが「一人の羊飼い(イエス・キリスト)」に導かれ、その声に導かれる「一つの群れ」となる教会時代の宣教を見据えられます。イエスは自由な意志として命を捨てる力があり、またそれを受ける力もあるのです。十字架の血は罪人を救う神の恵みであって、復活は信じる者が義を受けるためなのです。それは御父から命じられた御業の完成であり、永遠の命をもたらす救いの成就です。
(2026.4.19 田中寛也牧師)

