2026年6月21日のメッセージ ホーリネス教会弾圧記念主日礼拝
「 弟子の道 」 マルコによる福音書 6章1節~13節
今月の初め、キリシタン弾圧の聖地である津和野に旅しました。シスターから殉教の有様を伺うことが出来、記録を記した本を購入しました。明治の初めに浦上4番崩れとして村の全住民が津和野に流刑となり、その津和野で家長から幼子の37名が殉教しました。過酷な弾圧の中で信仰を守り抜いた聖徒の霊性に倣いたいと思います。
イエスが「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣教され、癒しの御業を通して、ガリラヤ地方の大勢が救いに入りました。ところが、故郷のナザレの会堂で安息日に説教を始めると、人々は権威ある言葉と奇跡の力に驚きましたが、同時に大工であった職種や貧しい家柄(マリアの子)とその兄弟姉妹たちを知って、イエスに躓きました。そこではわずかな癒しだけで、何も奇跡を行うことが出来ませんでした。イエスの権威にどう向き合うのかです。津和野では死を迎える者に母マリアが現れ、御国に入る勝利を授けられました。一方で、ナザレの人々は御言葉と御業の権威を軽んじたので、神の恵みを受けられません。
弟子たちはイエスに倣って村々に遣わされます。二人一組で遣わされるのは御言葉と御業の証人であるために、杖一本だけを持つのは神の権威と権能に信頼して歩むために、迎えられた家に留まるのは祝福を祈る謙遜な者であるためです。私たちは人の外側(貧富、学歴、経歴)を見ますが、主は人の内側(敬虔、愛、献身)を見られ、御自分の権威と使命を授けられるのです。私たちは小さく貧しく弱い者ですが、罪と死と滅びから解放され、神の愛と権威と勝利を託された弟子なのです。
(2026.6.21 田中寛也牧師)


