2026年8月2日のメッセージ  聖霊降臨節第11主日礼拝

「 神の国に入ろう 」 マルコによる福音書 9章42節~50節

ペトロのメシア告白以来、イエスは栄光に輝く神の子の姿を見せられましたが、救い主の座は受難と死の十字架にあり、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と教え続けられます。なぜなら、彼らも十字架の道に立ち、歩み、座に就くためです。そこで、彼らの真ん中に幼子を立たせ、抱き上げて「わたしの名のためにこのような子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と諭されました。それは、弟子たちこそが、この幼子の立ち位置にある「わたしを信じる最も小さい者の一人」だと自覚するためです。

マルコの教会はローマにある信徒の群れで、ネロの迫害によるパウロやペトロの殉教に立ち会った兄弟姉妹と伝えられています。すでに永遠の命へと召されたペトロが語り伝えたイエスの物語を綴り合せて、ペトロの通訳だったマルコが「神の子、イエス・キリストの福音」を書きあげたのでした。

ペトロが語り伝えたのは、自分たちがいかに頑なで、不信仰と不従順な生き方が、「わたしを信じる最も小さい者の一人」に躓きを与えて来たのかを知らせることであり、それでも主の弟子として歩んでいく道を教会に指し示すことでした。

弟子たちは幼い子供を躓かせる信仰者であってはならないし、また小さな者として躓いてしまってもいけないのです。ここで問われている課題は、自分が躓いてしまう誘惑そして罪です。そこで「あなたの片手が、あなたの片足が、あなたの片目があなたをつまずかせるなら、捨ててしまいなさい」と問いかけます。弟子たちや兄弟姉妹の内側に地獄に投げ込まれる躓きがあってはならず、罪に落ち込むことを避けるためにも、救い(永遠の命)にしっかり留まることなのです。どんな困難な状況にも吐き戻してしまわないためには、味をつける塩を持つようにと指示されます。自分の塩(御霊の実)を互いが平和に過ごす味付けとなるよう保っていなければなりません。

(2026.8.2 田中寛也牧師)