2026年8月9日のメッセージ  聖霊降臨節第12主日礼拝

「 子供の心で生きる 」 マルコによる福音書 10章13節~16節

イエスは十字架の道を進み行かれ、弟子たちは「自分を捨て、十字架を背負って、ついて来る」ことの霊的訓練を受けるために、ヨルダン川西岸(洗礼者ヨハネが殺害された所)に退きます。ところが、彼らは仲間内で誰が一番偉いか、右の座は左の座を巡って論争を続けています、35-45。一方、敵対者は、躓きの石を置いてやろうと、モーセ律法から離婚問題を吹っかけてきました。

家族で最も大きな躓きは、離婚問題でしょう。モーセは離縁状を渡すことで一つの解決法を与えましたが、結婚の真理は神の御心・決定にあることを自覚し、家族に加えられた子供たちが保護され、安心して育つことを通して一つの身体は豊かになっていくのです。

イエスに触れていただき、祝福を祈ってほしいと子供たち(パイディア・幼児)が連れて来られます。ところが、弟子たちは子供を連れてくる親たちを叱りつけたのでした。

イエスの子供理解はその性格や性質についてではなく、むしろ社会的立場にあり、保護者なしには生活できず、保護者のもとで安心する存在なのです。

イエスは憤り「子供たちをわたしのところに来させなさい」と声を荒げ、怯える一人一人の子供を抱き上げ、手を置いて祝福されたのです。そして、「神の国はこのような者の国である。子供のように神の国を受け入れる人でなければならない。」と諭されたのです。

イエスが子供を抱き上げ祝福する行為は、弟子たちに彼らの身の置き所を分からせるためでした。「わたしを信じる小さい者」とは、神の保護のもとに安全であり、神に委ねて安心する信仰者です。弟子の道はここに「わたしは既に世に勝っている」神の支配を見出すのです。

(2026.8.9 田中直子牧師)