2025年10月19日のメッセージ  聖霊降臨節第20主日礼拝

「 お言葉ですから・・・ 」 ルカによる福音書 5章1章~11章・イザヤ書6章5節

イエス様は話し終わると「沖へ漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われます。「先生、わたしたちは夜通し苦労しましたが、何も獲れませんでした。」と答えます。この時ペトロは、徹夜しても一匹も獲れなかった魚が、日が高くなった日中に、獲れるはずがない、と思ったに違いありません。なぜってペトロはプロの漁師ですから。でもとにかく「お言葉ですから・・・」網を降ろすと、なんと網が破れるほどの多くの魚がかかりました。「そこで、仲間に合図して、手を貸してもらいました。」仲間の舟もいっぱいになった魚で、舟は沈みそうになりました。昼間に魚が獲れるなんてプロの漁師の常識ではあり得ないことです。ペトロはこの現実を目の当たりにして、これは神の業にちがいない、イエス様はただの人ではないと気が付き、恐れ、イエス様の足元にひれ伏します。「主よ、私から離れてください。わたしは罪深い者なのです。」ここでペトロは、イエス様を「主よ」と呼び変えています。ひれ伏すペトロに、「恐れることはない、今から後、あなたは人間をとる漁師になる」すると、ペトロと仲間たちは「舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエス様にお従いしました。」

自分ではもうどうにもならない」自分の無力を悟る。それは「恐れ」からの解放です。自分自身を大いなる存在、神に、自分をお委ねすることです。「神に自分をゆだねる。」もうどうにもならないのですから、お任せするしかないわけです。神に自分をお委ねできるのならば、それならば、人生最悪の場面も案外悪くないのかもしれません。神は越えられない試練は与えられないし、逃げれる道をも備えてくださるお方です。人生には死ぬまで、新たなスタートが待っています。

(2025.10.19 宮本裕子牧師)