2025年9月21日のメッセージ 聖霊降臨節第16主日礼拝
「 一匹の羊のために 」 マタイによる福音書 18章10章~20節
1.「『これらの小さい者の一人でも軽んじないように気をつけなさい。・・ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残していて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。』」
教会に所属する小さい羊を気遣うこと、罪に迷い込んで教会から離れようとしている人々への配慮が呼びかけられます。強調点は、ルカの羊飼いの喜びや悔い改めにでもなく、失われた者を取り戻すために探し求め続けることです。
子供のような小さく弱い信仰者を軽蔑することが咎められるのは、彼らが御父の特別な存在であって、守護天使はいつも父の御顔を仰いでいるからです。彼らは神の臨在を無制限に触れる資格がある寵愛された者です。
「迷い出る」は背教を意味し、「失われた者」はキリスト教共同体の道を踏み外した教会員です。彼らが教会に回復することは、地上にまさって天に喜びがあると言われ、その一匹は無限大の価値で、九十九匹と比較されえない存在なのです。
2.「『兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。・・あなたがたが地上でつなぐことは(破門)、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは(罪の赦し)、天上でも解かれる。』」
教会の魂の配慮について、教会戒規の取り扱いは、より具体的な規定となり、兄弟の更生のために三段階の手順が示されます(クムラン教団宗教規定)。初めに当事者が出向いて和解する務めを負い、叱責は個人的になされます。「兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい・自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である、レビ19:17-18」からです。次に、二人三人の兄弟たちの前で取り扱い、最後的には教会に持ち出します。ここに至っても赦しを拒絶するなら「異邦人か徴税人」とみなして聖餐式から除外します。
3.「『どんな願い事であれ、あなたがたのうちの二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。』」
「二人三人集まるところにわたしもいる」キリストの臨在は、教会戒規の権威でもあり、教会の祈りに対する確信的な赦しです。教会は「つなぐ」ことであっても、「解かれる」ことを希望するのであって、罪を悔い改めて復帰することは教会と共にキリスト御自身の祈りなのです。
(2025.9.21 田中寛也牧師)


