2025年11月2日のメッセージ  召天者記念主日礼拝(聖徒の日)

「 生きている者の神 」 マルコによる福音書 12章18章~27章

1.「復活はないと言っているサドカイ派の人々が尋ねた。『復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。』・・『あなたたちは聖書も神の力も知らない。・・死者の中から復活のときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。』」サドカイ派の人々はモーセ律法の婚姻規定(レビラート婚、申命25:5)を持ち出して、復活信仰の陳腐さを訴えました。レビラ-ト婚とは、夫に先立たれた女性を経済的苦境から守り、土地と財産とが他人に渡らないようにする規定です。イエスは答えて、あなたたちは聖書も神の力も知らない、神の力はこの世の秩序を超えているのだ、復活のとき、身体は天使たちのようになるのだと言われました。身体の復活は、イエスがそうであったように生前の本人と分かる身体です。けれども、それは元の身体に復旧することではなく、天使のように神に対する無垢な存在となるのです。私たちはキリストの似姿へと変えられ、天の国にキリストの花嫁として迎えられます。

2.「モーセの書の柴の箇所で『「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である(出エ3:6)」とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。』」モーセは神から召命を受けた時、荒野で燃え尽きることのない柴の光景に

出会います。それは尽きることのない神の憐みを示し、幾多の苦難に燃え尽きそうになるモーセでしたが、神の憐みに生かされて、奴隷の民をエジプトから解放して神のものとして行きます。その尽きない神の憐みは、ついにイエスの十字架において、罪と死の力の奴隷となっていた私たちを解放し、復活のいのちへとつなげられて行きます。この憐み深い神は臨在の主であり、アブラハムと共にある神であり、イサクの神であり、ヤコブの神として地上を歩まれます。またモーセや私たち一人一人と共におられる力強い神であって、この世の秩序や不合理を乗り越えて希望に生きる力となってくださるのです。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。28:20」

(2025.11.2 田中寛也牧師)