2025年9月28日のメッセージ 聖霊降臨節第17主日礼拝
「 天国で一番偉い者 」 マタイによる福音書 18章1章~9節
1.「『自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国で一番偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである』」
主イエスはペトロの神の子告白を受けて、御自分の真である天の栄光に触れさせてくださいました。ところが、弟子たちは御子の苦難と死と葬り、そして復活と昇天という救いの経綸に触れようとせず、もっぱら自分たちが授かる天の栄光に捉われています。誰も十字架の苦難は避けて、復活の勝利と栄光を見つめていたいのです。彼らの誰が一番弟子であるかの議論を楽しんでいたのです。
そこで、イエスは弟子たちの議論を叱るのではなく、御子に従う者の資質は一人の幼子のようになること、またイエスのために小さな者となった者を受け入れることは、御子を受け入れることの真理を諭されました。
2.「『わたしを信じるこれらの小さい者の一人をつまずかせる者は、不幸である。片手片足片目になっても、命にあずかる方がよい。』」
世は光を憎むので、必然的に光に来ずまた来させません。けれども、8-9節は、キリスト者の私が自分自身を躓かせる誘惑に陥って、御国へ続く道から外れて歩いているか、生活の糧は正しいない働きで得ているか、性的な誘惑に目移りしているのか、もしそうなら片足片手片目を切り捨てる不幸を負ってでも、命に入るように厳しく諭されます。それは、何としても救いの恵みから外に落ちてしまわず、救いの内側に留まるためです。
3.「『これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。』」
教会の交わりから外に迷い出てしまった一匹の羊を、羊飼いが探し求め続けるように、当事者が、友人が、そして教会自身が、罪を悔い改めるよう叱責し、共に聖餐のパンと杯の交わりを回復するよう配慮すべきです。教会は7の70倍の赦しに生きる信仰共同体です。教会の裁きは10.000タラントンの赦しのもとに委ねられていることを生きるのです。
(2025.9.28 田中直子牧師)

