2025年11月9日のメッセージ 降誕前第7主日礼拝
「 神の国の子供たち 」 マルコによる福音書 10章13章~16章
1.「イエスの触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。」ここには、幼子をイエスのもとに連れて来た親の思いがあります。イエスの手は祝福の御手でした。神の祝福の中で成長できるようにと期待したのです。ところが、弟子たちは大声でダメ出しをしたのでした。敵対者のファリサイ派には何も言えないのに、弱い立場の人にはやけに強気に出ます。子供たちの元気な声は凍り付いたでしょう。
2.「『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国にはこのような者の国である。』」イエスは幼子たちを叱った弟子たちを叱られます。直前には、誰が一番かを巡って言い争って、イエスから幼子のようになるものが一番偉いと諭されていたのに。神の国はイエス自身のように、小さくされた者に「愛する子、心に適う」との御声が響く世界です。神の愛が注がれている恵みを妨げることは御心ではありません。
3.「『はっきり言っておく、子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」正直なところ、子供は純真無垢かと問われて、決してそうではありません。教えられなくても罪人の性質そのものですが、保護し養ってくれる人に頼るほかに生きていけない存在です。子供のようにとは、神の恵みの保護なしには生きられないことを自覚して、神を信頼することなのです。イエスは彼らを抱き上げ、手を置いて祝福されました。「人生最大の幸福とは、自分のいかんにかかわらず、愛されているとの確信である。ユゴー」
(2025.11.9 田中直子牧師)

