2026年1月4日のメッセージ 新年主日礼拝
「 新しいことは芽生えている 」 イザヤ書 43章19節
イザヤ書40-55は第2イザヤ書と言われ、バビロン捕囚期(BC605一次捕囚-586エルサレム陥落-538帰還)が終わろうとするイスラエルの民に、エルサレム帰還に向かう信仰共同体(神の僕)のあるべき姿を描き出します。
預言者イザヤは、70年に及ぶ捕囚生活によって忘れ去られてしまった希望という言葉をイスラエルの民に伝え、天地宇宙の創造者である神が、イスラエルの未来を導かれる歴史の主であることを明らかにします。天地創造の神は、悔い改めないイスラエルを罰するためにバビロンの王を用いて神殿を破壊されましたが、悔い改める民にはペルシャの王を用いて、捕囚から解放し神殿再建へと導かれるのです。今や、神の民に新しい未来が開かれようとしています。
捕囚の民は、みじめな生活と身分の中で、本当に神が生きておられ、歴史を導く主であることを疑い、神は民の苦しみに目を向けず、叫びも聞かれないとつぶやいています。しかし、彼らこそ目の見えない民、耳の聞こえない民なのです、8。
けれども、このようなイスラエルを救うと神は約束されます。バビロン捕囚からの解放は第二の出エジプトです、16-17。神は聖なる御名のために御自分の民を救われます。民はその恩恵を受ける者にすぎません、25。それゆえ、神は彼らを新しくよみがえらせて真のイスラエルへと変えられ、困難な道を乗り越えて、「荒れ野に道を敷き、砂漠に大河が流れる」神殿再建へと進み行きます。
私たちの教会にも御心に適う新しいことが始まります。そこに義の道が敷かれ、命の水の川が流れる霊的な神殿が再建されるのです。「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。ヨハネ7:38」
(2026.1.4 田中寛也牧師)

