2022年6月5日のメッセージ
聖霊が語らせるままに (使徒言行録2章1節~13節)
1.「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」
主は昇天に際し「父と子が約束した聖霊の洗礼を待ち望め」と命じました。祈りは、祈る者を肉(業)から霊(御心)へと解放します。御業を願うのに勝って、御心に適う者(献身)へと変えていきます。イエスの洗礼に聖霊が降り、「わたしの愛する子、心に適う」と天の声があったように、弟子たちは聖霊が降る前に「愛する子、心に適う」心砕かれ従順な魂とされるまで熱心な祈りが必要でした。
その日、風(神の霊)が天から吹きおろし、炎(神の臨在)の舌(異言)がとどまりました。聖霊は言葉と共に彼らに臨んだのです。
2.「すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。・・「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。・・彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」」
聖霊に満たされた彼らは、境内で神の偉大な業を語りだしました。五旬節の祝祭に礼拝へと集う巡礼者は、ガリラヤなまりの母国語で十字架の福音を聞かされたのです。彼らが恍惚状態で語った言葉は、皆が直ちに理解できました。聖霊の力(デュナミス)による宣教は、外国語でも内容が分かった、聞くことの奇跡です。
聖霊に満たされたキリストの証人は、力強く御言葉を取り次ぎます。神の偉大な業である十字架の言葉は、聞く者に「救われるためにどうしたらよいのですか」と認罪と悔い改めを迫り、洗礼を受けて、罪の赦しと聖霊を授ける生ける神の力です、2:38。一方、あざける者には空しく響くことが神の審きなのです。
(2022.6.5田中寛也師)