2022年7月24日のメッセージ

 弟子の覚悟~捨て、背負い、従う~(マルコによる福音書 8章31節~9章1節

1.「イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」」

イエスが人の子は多くの苦しみを受け棄てられると強く宣言します。するとペトロはイエスを脇へ連れ出し、いさめ始めました。弟子たちは受難のメシアではなく(イザヤ53)、勝利と栄光の王を求めています。従うことの代償ではなく、祝福を望みます。それで「サタン、後ろに去れ」と叱責を受けたのです。

2.「群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」」

弟子とはイエスの後に立ちつつ従います。捨てるとは、自己本位(肉)の生き方ではなく、御心(神中心)に適う生き方を繰り返し求めることです。また御心を目標とする生活は、社会での軋轢となり、多くの苦しみを負うこととなります。私たちはキリストの十字架を背負うとはできません。しかし、御心に従って受ける苦難は、キリストの十字架とつながっています。

3.「「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、福音のために命を失う者は、それを受けるのである。」」

永遠の命とは、どんな代価を払っても買い戻せない私の救いです。キリストと福音のために、恥を受け弱くされることは、父の栄光に輝いて再臨される主から御国を受け継ぎます。今ここで、イエスとその言葉に対してどう信仰告白し生きるのかが、来るべき日の救いを決定するのです。

(2022.7.24 田中寛也牧師)

 

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