2022年7月31日のメッセージ
祈りの力(マルコによる福音書 9章14節~29節)
1.「「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。」」
弟子たちも律法学者も不信仰のままに祈りをささげます。イエスは変貌山で「これに聞け」と真の権威者と証しされました。ところが、山の下では弟子たちの無力な祈りが議論されています。彼らの祈りはイエスの力を引き出せないのです。熱心さや断食が足りないからでしょうか。十字架の道にあるイエスの後ろに従っていないので、御心に適う祈りとならないのです。
2.「イエスは言われた。「『できれば』と言うのか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」」
「できれば」とは、父親の弟子たちへの不信がイエスにも及んでいます。主イエスは状況の全てを越えての権威者です。イエスの宣言に父親は信じますと決断し、自らの不信仰を告白して信仰が自立できるよう懇願します。「信仰のないわたし」とは、虚しい祈りを唱える悔い改めであり、イエスに依り頼む告白です。
3.「「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」・・「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ。」」
悪霊を追放する力強い祈りは、私たちが力を紡ぎ絞りだすことではなく、真の権威者である神に聞き従う者の祈りを通して、神が悪霊から解放し自由を与えます。
(2022.7.31 田中寛也牧師)