2023年3月5日のメッセージ 受難節第2主日
ベルゼブル論争 (ルカによる福音書 11章14節~26節)
1.「『わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁くものとなる。』」
イエスが口を利けないよう縛った悪霊を追放した御業は、否定しようがありません。そこで、敵対者は力の出どころが悪霊の頭ベルゼブルの力を借りて手下どもを追放したと訴えたのです。それは自己矛盾に陥ります。同じ神の名によって癒しの業を行う仲間たちも魔術師と訴えることになるからです。
2.「『わたしに味方しないものは私に敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。』」
イエスは悪霊どもの頭も支配する永遠の王です。力ある言葉に出会った者は聞いて従うのか、否かについて問われています。御言葉を、それとも自分の声を優先しますか。
3.「『汚れた霊は・・自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。・・その人の後の状態は以前よりも悪くなる。』」
人間を支配する欲望(居座って縛り付ける)こそ悪霊の本性です。イエスによって罪の束縛から解放された者は、聖霊で心を満たし主と共にある献身者に留まらなければなりません。悪霊の居心地の良い場所は住み慣れた家です。空っぽな家は侵入者を招くように、サタンの侵入に無防備なままに、再び律法を招き入れるなら、もっと悪い裁きと滅びが支配するのです。
(2023.3.5 田中寛也牧師)