2023年3月12日のメッセージ 受難節第3主日

十字架を背負う (ルカによる福音書 9章18節~27節)

1.「イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』ペトロが答えた。『神からのメシアです。』」

私たちはイエスの像(イメージ)を自分好みに作り上げています。それぞれに違っていいのですが、イエスは自身を何者として活動されているのでしょう。神からのメシアとして来られ、全人類を死と滅びから救い出す贖いの子羊なる道を歩んでいます。ペトロの告白は正しいのですが、未熟な理解に留まっています。

2.「『わたしにいて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。』」

弟子(教会)はイエスに聞き従う者たちです。十字架に向かって歩まれる方の道を歩みながら、徐々に主を知っていきます。弟子の道は①捨てること。自分の命捨て、イエスのために死ぬ。自分を御手に委ねてしまいなさい。

②取ること。自分の十字架を取りなさい。世の宝のすべてに優先して、イエスとその言葉を取る。③従うこと。復活の命と共に生きる。

イエスが栄光に輝いて来られて、私を恥じることを恥じたい。

3.「『確かに言っておく。・・神の国を見るまでは決して死なない者がいる。』」

ルカは教会の私たちに、世の終わりに至るまで「主よ、来たりませ」と再臨を待望する弟子の道を歩むように諭します。

 

(2023.3.12 田中寛也牧師)