2023年6月25日のメッセージ 聖霊降臨節第5主日礼拝(弾圧記念主日)

福音は世界に向かう(使徒言行録 8章26節~40節

ステファノの殉教で始まったエルサレム教会への迫害によって、フィリポはサマリヤへと避難しつつも、福音宣教を推し進めます。異邦人の大勢が悔い改めて信仰告白し、洗礼を受けたのでした。困難の中でも進みゆく宣教の御業に、彼はどんなにか主の御名を賛美し、また羊飼いの責務を重く受け止めたでしょう。

ところが、主の天使は荒れ野を横切る寂しい道へ旅立てと言います。神の言葉は常に一方通行です。今の奉仕はどうなるでしょう・・。フィリポは直ぐに出かけると、エチオピアの女王の全財産を管理する宦官が乗る馬車と遭遇しました。

宦官は、神殿の外庭で礼拝するユダヤ教への「門の改宗者」です。彼はイザヤ書の深遠な53章を声にして朗読しています。御言葉に聞き入って喜んでいますが、イザヤは自分の失敗を嘆いているのか、誰かの犠牲の死を悲しんでいるのか、意味が解りません。

フィリポは彼との会見のために準備されたのでした。53章の預言がどのように成就されたのかを知っていました。もちろんイザヤ自身のことを言っていることは否定しなかったしょう。しかし、イザヤが聖霊の導きで将来に現れる神の僕の生涯を見ていたことを知っていました。その神の僕こそイエス・キリストであると言明したのです。

そして、素晴らしい変化が起こりました。彼はその場で完全にイエスに従っい、悔い改めとイエスを信じる信仰に導かれ、洗礼を受けたのです。そして「喜びにあふれて旅をつづけた」。新しい命と神の愛が彼を支配しました。その信仰は、エルサレムに頼るのではなく、遣わされた人に頼るのでもありませんでした。イエス・キリストを発見したからです。

この物語の中心は、人間の心に語り掛け、働きかけて、勝利を獲得されるキリストの活動です。イエス・キリストこそが救いの門を開く主権者です。

また、キリスト者の責任も示します。もし私たちの間でキリストの御業が進展しないなら、フィリポに倣わず、出ていくのを喜んでいないのです。

(2023.6.25 田中寛也牧師)