2023年9月24日のメッセージ 聖霊降臨節第18主日礼拝

「信仰の戦い」(テモテへの手紙 一 6章1節~12

1.「異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、信心(敬虔)に基づく教えにも従わない者がいれば、・・信心を利得の道と考える者の間で起こるものです。」

十字架の福音と異なる教えは、偽教師が自ら造り出したもの、自分の利益を優先したものです。偽教師は霊性の病人であって、(キリストの謙遜とは真逆で)高慢で口論を好み、名誉と富に執着します。

2.「信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。・・食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。」

信仰者は自分の必要に過不足のない神の供給が与えられていて、物欲に愛着する必要はありません。人間は「裸で生まれ出て、裸で去って行く」のだから、後に残す地上の金銭や物質に執着せず「衣食があれば」満足すべきなのです。「まず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。マタイ6:33」。

3.「神の人よ、・・信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神に召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。」

十字架なくして冠はなく、服従なくして勝利はありません。再臨の日が不確かである事実は、聖い生活への願望を強めます。約束されている永遠の命は、自分のものとして受け取ること、そして維持しなければなりません。それは信仰と服従によって受け取る喜び、感謝です。

(2023.9.24 田中寛也牧師)