2023年11月19日のメッセージ 降誕前第6主日礼拝

 「神の救い」  出エジプト記 2章1節~10節・3章11節~15節

1.「王女は彼をモーセと名付けて言った。『水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。』」

赤ちゃんモーセは死の淵に漂っています。王女の一方的な憐れみと姉の知恵によって、再び母の胸に抱かれます。私たちは水(罪と死)の中にいますが、神の一方的な憐みにより、キリストの御業によって永遠の滅びから引き揚げられました。神の使命を証しするためです。

2.「神は言われた。『わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。』」

危機無くして、成長なし。危機は危険でもあり機会でもあります。モーセは40歳までは力任せの理想主義者、80歳までは荒れ野の羊飼い、過酷な自然条件に翻弄されながら知恵と勇気と信仰を鍛錬されたのでしょう。わたしが共にいる、これが召命のしるしです。主イエスに父が共におられ、御業がなります、ヨハネ3:2。使徒パウロはキリストに捕らえられて、すべてが可能です、フィリピ3:12.4:13。神が全能者として臨むために、主と共にいる器が選ばれます。

3.「神はモーセに、『わたしはある。わたしはあると言う者だ』。・・『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が・・これこそ、とこしえにわたしの名、これこそ、世々にわたしの呼び名。』」

神はダイナミックに行動される生ける神です。父祖たちにも、モーセや私たちにも生活の現場で活動されます。御言葉によって幻を与え、苦難と試練を通して信仰と希望と愛を成長させ、常に主の名を呼ぶ(礼拝する)聖徒が育てられます、ロマ5:3-4。

(2023.11.19 田中寛也牧師)