2024年2月11日のメッセージ 降誕節第7主日礼拝

「小さな贈り物」 ヨハネによる福音書 6章1節~15

1.「『この人たちに食べさせるためには、どこでパンを買えばよいだろうか』と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているかを知っておられたのである。」

主イエスは御自分の働きを共に担わせるため、弟子たちの信仰を試されます。主はどのように奇跡の業をなさるのか知っておられます。「わたしだ。恐れることはない6:20」のです。

2.「フィリポは、『ニ百デナリオン分のパンでは足りないでしょう』と答えた・・アンデレがイエスに言った、『ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。・・何の役にも立たないでしょう。』」

ところが、弟子たちは信仰を自分の枠に留めたまま、できない理由ばかりを連ねて、キリストの言葉に踏み出せないでいます。キリストの視点から見つめる霊性の養いを意識したいと思います。

3.「人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、『少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい』と言われた。・・十二の籠が一杯になった。」

荒野で、わずかな食物をもって群衆の飢えを満たすのは不可能と思えます。しかし結果は、主イエスが感謝の祈りを唱え分け与えられた肉の糧は、十分かつ余りがある程に豊かであって、大人も婦人も子供もそれぞれに満腹できました。キリストによって祝福され、弟子たちによって配られる福音(命のパン)は人の目には弱く力なく愚かに見えるとしても、十分以上に満腹となる糧なのです。

(2024.2.11 田中寛也牧師)