2024年3月10日のメッセージ 受難節第4主日礼拝

「香油注ぎ」 ヨハネによる福音書 12章1節~

ラザロが死んで四日目に生き返った出来事は、イエスは神からのメシアであるとの証言でした。ところが、祭司長たちとファリサイ派は最高法院を招集し、イエスとラザロの殺害をたくらみます。

1.「そのとき、マリアが非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪の毛でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」

ラザロの姉マリアのイエスへの愛は無限大で解放された喜びと永遠の希望に満ちています。彼女のすべてがナルドの香油です。晩餐の宴を囲むイエスの足元に座り、瓶を割って香油のすべてを注ぎました。今日一日を福音宣教に歩いた足の汚れは流され、長い髪の毛で綺麗に拭かれたのでした。そして家いっぱいに良い香りが広がりました。家は教会また福音宣教される全世界(マルコ14:9)を象徴します。

2.「『なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。』」

弟子のひとりユダは、きっと席から立ち上がりマリアを指さして非難したのでしょう。いかにも正当な怒りは、自身の気質である怠慢、不誠実、身勝手な願いの裏写しでした。「すべて人を裁く者よ、あなたは他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです、ローマ2:1」とあります。「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。サムエル上16;7」との真理に気づいていたいのです。

3.「『この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。』」

イエスは私たちに、ラザロの葬りと生き返りを思い起こさせ、メシアの受難(死と葬り)と復活の勝利を宣言されます。福音宣教(十字架の救いと復活の永遠の命)の言葉が満ちる教会と全世界に、受難を記念するマリアの愛も伝えられます。「それはつまるところ、あなた(この人)と神さまとの関係のことなのであって、他の人がどうであるかという問題ではないのです。マザーテレサ」。キリストのための行為は、天に記録されています。

(2024.3.10 田中寛也牧師)