2024年5月5日のメッセージ 復活節第6主日礼拝

「既に世に勝っている」 ヨハネによる福音書 16章25節~33

1.「『その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。・父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが父のもとから出て来たことを信じたからである。』」

「その日」聖霊が降臨されるペンテコステの日。弟子たちは聖霊のとりなしによりイエス・キリストの名前によって、直接に父なる神に祈ることが出来ます。父なる神は私たちを愛され、御子を真の羊飼いとして遣わし、いのちの泉に導いてくださいました。「愛し、信じた」は現在完了形の言葉で、愛しているから信じているのです、コリント113:4-7。父なる神もあなたを信じています。

2.「『あなたが何でもご存じで、誰もお尋ねする必要のないことが、今わかりました。』・・『今ようやく、信じるようになったのか。・わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。」

弟子たちは、イエスこそ真理について聞くべき唯一の方と告白します。ところが、身に危険を感じると自分の声に聞き従って、逃げ去りました。結局、肉の熱心は世の支配者に無力でした。

3.「『これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。』」

主イエスの告別説教は「心を騒がせるな。14:1」と始まって、「わたしによって平和を得るためである」と結ばれます。キリスト者は「世から選び出された」ゆえに理由もなく迫害されますが、決して滅びることはありません。主の十字架が敗北ではなく、勝利の十字架であるように、私たちは既に打ち破られた敵と戦っているからです、「キリスト者は既に勝敗がついた勝ち戦を戦っているのです。何の恐れることがあるでしょう、フォーサイス」。「あなたがたは、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。・・むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。エフェソ5:8-20」。

(2024.5.5 田中直子牧師)