2022年1月30日のメッセージ

清くなりなさい

1.「重い皮膚病を患っている人が、・・「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。」」

癒されない苦悩を抱えた人が、律法の規定を破って、聖なるイエスのもとにひざまずき願いました。「御心(神の意志)ならば」と、敬虔と謙遜とそして信念を貫いて嘆願したのです。イエスは内臓を引き裂くように同情し、その体に触れて「わたしの意志だ。清くなった」と命じられて、悪しき霊どもを追放されました。教会の信仰はキリストの意志を動かすのです。

2.「「ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広めた。」

イエスは彼に清めの規定が命じる物を献げて、祭司から証明をもらうように諭します。しかし、この男は癒された奇跡の出来事を町中に言い広めます。すると、イエスのもとに癒しの奇跡を求める人々が押し寄せて来ました。イエスはメシアであることを隠されます。それは、人々が目に映る癒しの奇跡だけを求めて、罪人の救いである十字架の御心を隠してしまうからです。

(2022.1. 田中寛也師)