2022年2月13日のメッセージ

種まく人のたとえ (マルコによる福音書4章1~9節)

1.「「種をまく人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、・・ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、・・ほかの種は茨の中に落ちた。」」

表題は種をまく人のたとえですが、種のたとえでもあり、土地のたとえしても説教されます。それぞれに解釈が可能です。

御言葉の種をまく神は、百倍の実を結ぶ良い土地であることを期待しつつ、群衆に向かって種を蒔きます。パレスチナでは畑とする土地に種を蒔いてから、牛に鋤を引かせて土を耕します。それで、畦道に、石を集めた所に、茨のままにした所にも、種の一部が落ちます。耕されないままの土地は種の命を養えずに終わり、実を結べませんでした。

2.「「ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」」

私たちは良い地として創造されました、創世記1:27-31。罪や汚れのために御言葉が育たなかった土地も、悔い改めて主に聞き従う弟子となれば、種の働きによって、土地の力が引き出されて、百倍の実を結ぶのです。「聖霊の御業は我々をも業につかしめるところにある、ボーレン。」

3.「「聞く耳のある者は聞きなさい。」」

聞く耳のある者は、13-20節の解説を理解して、主イエスの言葉に聞き従う弟子たちです。種は命を持っていますが、耕された土の中で命を育んでこそ、百倍の実を結びます。

(2022.2.13 田中寛也師)