2022年3月20日のメッセージ

 十字架を背負う (マルコによる福音書8章27~37節)

  

1.「「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたはメシアです。」」

私はイエスを何者と告白するでしょう。メシア告白は、知恵や知識によってではなく、父なる神によって啓示され、信仰によって知る真理です。メシア告白は私たちを造り変えます。

2.「イエスはペトロを叱って、「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」」

私たちは自分が保護者のようにイエスを取り扱おうとします。十字架に殺されず復活しないイエス像は、苦難と屈辱のない栄光だけを授ける僕(愛にあふれ、寄り添う人道家)としてしまいます。

3.「「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」」

弟子の道は、自分を否定し、御言葉に聞き十字架を背負う、イエスに従います。彼らはイエスと共に十字架に死に、復活の主と共に霊のいのちに生きる、キリストの証し人です。「我々は我々自身のものではない。それ故に、神のために生き、神のために死のう、カルバン」。「私は何者だろう。・・私はあなたのものです、ボンフェファー」。イエスを恥じず誇り、福音をとどめず宣べ伝える者は、永遠の命を受けるのです。

 

(2022.3.20 田中寛也師)