2022年4月3日のメッセージ

 十字架の勝利 (マルコによる福音書10章32~45節)

 

1.「「人の子は祭司長たちや律法学者にたちに引き渡される。・・異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」」

弟子たちは誰もイエスの心(来臨の目的)を知らず、分かろうともせず、従っています。いつも栄光の王、凱旋将軍として復活のイエス像を描いているので、右と左の座を願ったのです。彼らが驚き恐れたイエスの歩む道が、十字架の血による罪の贖いだとは悟れません。

2.「「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るのかは、・・定められた人々に許されるのだ。」」

弟子たちは誰が右に左に座るかを競っています。イエスの右に左にとは、福音のためにキリストの苦難を飲み干し、死の洗礼を受けること、同じ十字架につけられること、すべての人の僕となる道にあります。御座の右と左は、御父が主権をもって決定される事柄です。

3.「「いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

  イエスの来臨の目的は、罪人が永遠の滅びから救われるためです。御自分の命を引き渡し、十字架の死によって罪を贖われました。私たちは死と滅びの奴隷でしたが、身代金は既に支払われ、信じる者は神の子の自由を得ています。  

 

(2022.4.3 田中寛也師)