2022年4月10日のメッセージ

 十字架への道 (マルコによる福音書14章32~45節)

1.「「私は死ぬばかりに悲しい。目を覚ましていなさい。」「アッバ、父よ。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」」

真の人であるイエスは死の苦難を前にして、心が破れる程に苦しまれ、私たちに祈りの支援を願われます。十字架の杯は神に見捨てられる苦しみだからです。一方、真の神であるイエスは御心(神が意志すること)が成ることを祈られます。主は弟子たちの祈りに期待されましたが、結局のところ、救いの完成は、御子が一人で負うほかにない苦難です。

2.「「シモン、眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は熱していても、肉体は弱い。」」

弟子たちは誘惑にさらされて肉の弱さを露呈し、三度も眠りに落ち込みます。目を覚まして(神の意志が成るように)願うことが、信仰に生きる者の祈りです。

3.「「あなたがたはまだ眠っている。時が来た。人の子は罪人たちの手に渡される。立て、行こう、見よ。」」

御子が異邦人に渡されるその時が来ました。十字架につけられる神の時をめがけて、弟子たちに立ち上がれと命じ、行こうと踏み出されます。教会は地上の生を、神の時を目指して主と共に歩みます。

 (2022.4.10 田中寛也師)