2023年7月23日のメッセージ 聖霊降臨節第9主日礼拝

「来なさい、そうすれば分かる」(ヨハネによる福音書 1章35節~42節

*ヨハネの弟子からイエス様の弟子へ

36節 ヨハネが、歩いておられるイエス様を見つめて、『見よ、神の小羊だ』といいます。すると、二人の弟子はそれを聞いて、イエス様に従いました。

今日のポイントは38節「イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、何を求めているのか、と言われた」と言うところです。イエス様に従って行こうとする者に、イエス様は「あなたは何を求めていますか」とお尋ねになるのです。

 

*どこに泊まっておられるのですか

さて、「あなたは何を求めていますか」と尋ねられて、二人の弟子は「先生、どこに泊まっておられますか」と聞き返します。宿泊場所を聞いてどうするの?と思いますが、しかし、この「泊まる」という言葉は、ヨハネ福音書において とても重要な意味の言葉ですから、繰り返し何度もこの言葉が使われています。

「泊まる」はギリシャ語で、「メノー」と言いますが、「泊まる」のほかに「つながる」とか「留まる」の意味があります。それが出て来るよく知られた箇所はヨハネ福音書15章の、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」というイエス様の有名なお言葉の中で使われています。

このように「どこに泊まっておられますか」の「泊まる メノー」は、イエス様が父なる神の愛に内にとどまっており、私たちがイエス様につながっており、その愛の内にとどまっているという、イエス様と私たち、イエス様と父なる神の関係を言い表す大切な言葉、メノーであることがわかります。

 

*来なさい、そうすれば分かる

「先生、どこに泊まっておられますか」という質問に対して イエス様は、「来なさい、そうすれば分かる」と言われます。イエス様にお従いするとか、信仰者として生涯を生きていくというようなことは、最初から自分で決心をして 歩みだすようなことではありません。イエス様との最初の出会いは人それぞれです。でもとにかく、イエス様の道を歩みながら、それぞれの道が示されていきます。ある人は、教会の前の説教題に心動かされて、教会の扉を開ける人もいるでしょうし、親がクリスチャンだったからという人もいるでしょう。また、子どもの時に教会に通っていたという人もいるでしょう。どうであっても、私たちは、ある日、イエス様から「来なさい、そして見なさい」と招かれて、イエス様の後についていって、今こうして、毎週礼拝に集う者とされているのです。

 

*新しい人生が開かれていく

キリスト教では、神と愛は一つで、神は愛なり、と言われます。愛こそが神なのです。愛である神は、生まれた時から私たちの心の中に宿り、わたしと共にいてくださったから、神が私をここまで導いてくださったのです。どなたの心にも生まれた時から愛の種が宿っています。

愛というものは、言葉で表現し尽くすことはできません。それは、美しい景色を見た感動や 料理のおいしさとか、特に、誰かを助けた時、心に満ちて来る温かい何か、これらは、決して、言葉で説明できないのですが、愛の素晴らしさを知りたいのなら、実際に味わってみるほかはありません。

愛の素晴らしさを知ったら、人生の意味がわかるでしょう。生きる意味もわかるでしょう。イエス様に繋がって 最後の日まで、愛に身を委ね、愛の導くままに人生を歩んでいきたいと願います。

(2023.7.23 宮本裕子牧師)