2023年11月26日のメッセージ 降誕前第5主日礼拝
「イエスは命のパン」 ヨハネによる福音書 6章22節~35節
1.「『はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。・・いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。』」
神の子たちも目に映る優劣(貧富、上下、差別)で幸いを量ろうとしがちです。自分のお腹が一杯、満足したからです。もし、不足のままで帰されたら、誰一人もついて来なかったでしょう。それゆえ、不信仰なイスラエルを生かされたのは、神の選びであって、その憐みが荒野での日々のマナ、五千人の給食です。
2.「『神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。・・神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。』」
御子の経綸は全人類を死と刑罰から命と救いへと導き入れるためです。神の目に正しい人(義認)はいません。世のすべてが罪(的外れ)の中にあるからです。荒れ野のイスラエルもイエスを囲む群衆も同じ自己中心です。救いは私たちの外(天)から来る(ルター)。十字架に血潮を注がれた御子を信じることによって、救われるのです。神のパンをいただくことで、御国に生きるのです。
3.「『わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。・・わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。』」
地上には戦争や災害や差別により、飢え渇く人々が絶えません。イエスの宣言に、肉の満たしを求めるなら、空しく響くでしょう。命のパンとは心を満たす(愛、喜び、平和)御霊の糧なのです。それは終わりの日を待ち望む復活の喜びに満ち足りています。
(2023.11.26 田中直子牧師)