2023年12月17日のメッセージ アドベント第3主日礼拝

 「神の言葉を留める」  ヨハネによる福音書 5章36節~47

1.「『わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。・・聖書はわたしについて証しするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。』」

イエス・キリストは見える形で遣わされた約束のメシアです。天の父、バプテスマのヨハネ、イエスの奇跡の業(死からの復活)、聖書が証人となって、イエスは神の子であると証言しています。不信仰は証拠の欠如ではなくむしろ、信じようとする意志の欠如です。多くの人たちは聖書に分け入って永遠の宝(キリスト)を探究しない(信じたくない)ので、不信仰者のままです。

2.「『あなたたちの内には神への愛がないことを、わたしは知っている。わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受けいれない。・・モーセ(旧約)を信じたのであれば、わたし(新約)も信じたはずだ。』」

「多くの魂が失われるのはなぜか」。救われるためにキリストのもとに行こうとする意志の欠如が、御国から締め出されている原因です。誇りか、罪への愛着か、世を愛する思いか、多くの人は光よりも闇を愛するからです。

「不信仰の原因は何か」。多くの人は神の栄光よりも人からの誉れを愛するからです。不信仰は知性や理解力の不足ではなくむしろ、神への誠実(愛)が欠如しているからです。モーセを通して与えられた救いを信じない者は、御子の十字架と復活の救いを信じることができません。

 

(2023.12.17 田中寛也牧師)